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陝西考古学で発掘された人骨はどこに行きましたか?
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(0票) 更新日:2020年09月11日

 陝西の地下には古い墓がたくさんあります。では、考古学で発掘された古代人の骨はどこに行ったのですか? 「体質人類学実験室」の研究対象は考古発掘中で出土した人骨で、「体質人類学」と「考古学」は結び付けていて、「考古学人類学」になっています。この実験室は「体質人類学実験室」と「考古人類学実験室」も呼ばれています。

「統万城(1600年前、紀元413年)」住民は農耕民ですか?それとも遊牧民ですか?

 現在、同研究室では陝西省楡林靖辺県城北58キロのところにある東晋時代匈奴貴族の都「統万城」遺跡周辺で数年間に出土された数十体の古代人骨を研究しています。その観察と測定は、「統万城古代人骨」総合研究の一部です。これまでの統万城発掘研究では、主に城跡や周辺の墓に対する研究が行われていましたが、次第に出土者の骨も重要であることを認識してきました。

 その地域は昔、農業と牧業の交錯地帯でしたが、ここで生活したのは北方の遊牧民ですか?それとも南方から北上した農耕民ですか?昔の周辺環境は彼らの生活にどのような影響がありましたか?

 これまで、これらの異なった年代の古代人骨の整理作業はその研究の第一段階です。今から、観察測定はその研究の第二段階に入っています。例えば、頭蓋骨の測定を通して、人骨の形態特徴を見て、その人群の体質特徴と移動の様子を究明しています。

 この学科はすでに古人種の地域別や類型を分類されています。データーの測定や異なった地区の古代人の群れの比較によって、彼らがどこから来て、どこに流れて、周辺の人の群れとの関係がどのようですかを判断することができます。



西北大学文化遺産学院「体質人類学実験室標本倉庫」



古代人の骨には重要な歴史情報を隠しているでしょう

 「統万城」遗迹周辺の墓から発掘された古代人の大腿骨を見ると、統万城の古代住民は遊牧民かそれとも農耕民か?

乗馬民族は、乗馬などの生活习惯や食事などの影響で、大腿骨の曲りが大きく、摩耗の原因もあり、骨に『乗馬小平面』を残してあります。もちろん、他の重複労働もこのような小さな平面を形成する可能性もありますので、次にアイソトープ分析と他の研究を組み合わせて、乗馬で残った平面かどうかを総合的に判断しながら、確認しています。

 実験室には古代人の骨がたくさん置いてあります。その中に、身分不明の遺骨個体もあります。たとえば、唐時代皇族の「上官婉児」、「薛紹」など唐代有名人の墓も西安空港の建築現場にあります。「薛紹墓」と「官婉儿墓」はいずれも昔、破壊され、考古発掘の時、完全な遺骸や棺などの葬具を殆ど見つけられませんでしたが、ある遺骨の残片は見つけられた。遺骨の個体はなぜ注目されているのか?墓誌などの情報と結びつくと、研究により、多くの価値のある手がかりを提供するからです。これらの無名の遺骨個体は文献に記載されていないかもしれません。その体質研究を通じて、彼らの生活過程に何があったかを探るしかないです。古代有名人の体質について研究すると、もっと多くの重要な情報を発見するかもしれません。





DNAの取り出し



唐長安城で白人と白人混血児が生活したか

 生物であれば、細胞内にDNAがありますが、古代人の骨のDNA情報は汚染されやすいです。例えば、埋蔵環境の細菌や研究者の接触などからDNA情報も残されます。 だから、研究者たちは古代人の骨に接触する時、古人のDNAを抽出する時、汚染されることを避けるために、最も理想的なやり方はあごの骨からプローブを頭骨に挿しいれて、DNAを取り出します。

昔、唐長安城は各国の人が住んでいた国際的な大都市でした。「唐長安城古代人骨研究プロジェクト」において、その関連の手がかりが見つかりましたか?黒人が唐長安城で生活した文献記載はあるですが、その遺骨は見つけていません。しかし、同西北大学の新しいキャンパス建設現場で発見された唐の墓の中から、ヨーロッパ人種(白人)の遺骨は発掘され、上記DNA抽出技術より人種が確認されました。





唐公主遺骨による顔面部復元像



新石器時代から明清まで標本倉庫の中に5000人以上の古代人遺骨

 古代人骨標本庫は面積が広く、古代人の遺骨が数多く入っています。戸棚の横のラベルには、これら古代人骨の由来地が表示されています。遺骨は陝西省の地元からのほか、山西省の楡次や雲南省の元謀などから収集されて来たのです。

 ここに保管されている古代人骨は、年代の幅が新石器時代から明時代や清時代まで、全部考古学の発掘から来ています。古代人骨標本は西北地区を中心として、西南地区と山西からも収め、全部で5000体以上あります。標本個体にそれぞれ、各自の性別、年齢、病理などの基本的な情報の鑑定報告書が提出されています。多くの考古学発掘協力者が出土した人の骨をここに送り届けてくれます。数はまだ増え続けています。





西北大学文化遺産学院「体質人類学実験室」



中国文明の起源に関する研究テーマ

 西北大学で考古学発掘現場から出土された古代人骨を利用して、有意義な研究が行われています。

 例えば、ウズベキスタンラバト墓地から出土した人骨資料を通じて、「月氏西遷(月氏は中国の戦国時代から漢代にかけて、中央アジアで活躍した遊牧民族で、匈奴に追われて西遷し、バクトリア(大夏)を支配した。)」などの問題を探索し、唐長安城及び周辺地域住民の体質特徴の研究を通じて、国際都市として開放化した唐長安城中の人の移動と交流状況を検討しています。「神木石峁遺跡」の人骨総合研究を通じて、龍山晩期から夏時代までの中国文明の起源と形成時期及び陝北高原農牧インターリーブ地帯にある超大型住民集落の先民体質特徴とその形成過程を検討しています。

 また、「黄陵史家河墓地」は戦国の早中期に、魏国の関係が緊密な戎人(戦国時代に西域少数民族に対する称呼)墓地であったが、戦国末期に入ってから秦人の墓地となった。その埋葬人骨の研究を通じて、西戎、秦人(西遷した華夏族の一部)と三晋(戦国時代の趙国、魏国、韓国)との関係及び北方草原遊牧民からの影響を検討しています。「黄陵寨頭河戎人墓地」の出土人骨を通じて、戎人の体質特徴を研究し、戎人と秦人の関係などの問題を検討しています。